2018-08-30

●神保町ジャニスの思い出

神保町ジャニス本店が11月に閉店だそうで、寂しい気持ちでいっぱいです。
ジャニスで頻繁に借りていたのは1983年から1991年ぐらいでしょうか。1980年代中盤に最先端だったシュラプネル系やスラッシュ・メタル(あるいはアメリカン・メタルやジャーマン・メタル)はだいたいキニーやシスコの店頭でチェックして、結局ここで借りていました。
基本的に僕は図書館でタダで借りるのを優先していたのですが(文京区立小石川図書館や水道端図書館はレギュラーでした)、図書館にないインディーズものはUKエジソンの店頭で気になったものをここで借りていました。
あまり本数はなかったけれど、タダでライヴ盗み録りカセットテープを貸してくれるというサービスがあったので、RAINBOWの伝説の1978年札幌公演を借りたりもしました。
あとビデオも貸すようになったので、1980年代終わりの方にラス・メイヤーものやハーシェル・ゴードン・ルイスものやリチャード・カーンものはここで借りていました。
1990年代前半までは駿台に行ったり、ディスクユニオンやシスコ、ディスクロードお茶の水店に行ったり、週刊プロレスの早売りを書泉ブックマートまたは旧・洋泉社近くの書店まで買いに来ていたので(木曜日発売のところ水曜日の午後に売っていた)、毎日のように神保町に来ていたのです。
ジャニスの近くにはマーブルディスクという中古レコード/CD店がありましたが、あまりに在庫があり過ぎて通路を見て回ることも出来ず、しまいに店に入ることすら困難になって、かといって欲しいブツがあまりあったわけでもないので、行かなくなりました。 2012年秋ぐらいまでやっていたらしいです。
あとジャニスのすぐ近くにプロレスショップのリングサイドがあって、自動販売機のジュースやガムを買って延々とプロレスビデオを見ることが出来ました。 リングサイドは後に上野に移転しました。
神保町ダンウィッチは何度かパッケージを見たくて入ったけど、レンタル料がけっこう高くて、情報が乏しい輸入ビデオのどれを借りればいいのか判らず、一度も借りなかったです。
でも社会人になってから徐々に神保町から足が遠のいていきました。
とはいってもメールが普及していなかった頃はシンコーミュージックさん→ミュージックマガジンさんに行くとき必ず通っていたわけですが。
2005年には美容師さん向け雑誌『FA』向けにジャニス記事を書いて、鈴木社長と野澤店長(当時)にお話を伺ったりもしました。
1980年代にジャニスのマドンナだったホクロのお姉さん、2005年の時点で社長さんが「まだやってますよ」とおっしゃっていました。
神保町ジャニスは僕にとってひとつの学び舎だったと思います。

そんなわけで“ジャニス本店閉店!”といわれても、僕の中のジャニス本店はここなので、ビクトリアの方の大きな店はちょっとイメージが違うのです。
しかし“本店閉店”は発表しているものの、2号店はどうするんでしょうね。 公式ツイッター・アカウントだと「ジャニス、閉店します」とのことなので、これでおしまいなのかも知れません。

そういえば『FA』誌は2006年にKEMURIの伊藤ふみおに取材したり、いろいろ面白い勉強をさせていただきました。版元のcocoa出版の親会社がアリミノという美容関係の会社で、伊藤氏のご親戚がやっているか何かだったのですよね。 文字数のわりには原稿料が良かったです。
いつの間にか関係がフェイドアウトしてしまいましたが、今でもあるのかなあ。

投稿者:

yamazaki666

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