Scott 'Wino' Weinrich Interview 2009.1.14 & 17




ドゥーム神スコット・"ワイノ"・ワインリックのインタビューです。
THE OBSESSED、SAINT VITUSなどで神格化されているワイノとの電話インタビューは初のソロ・アルバム『PUNCTUATED EQUILIBRIUM』リリースに伴うもの。2009年1月14日と17日、2回にわたり行われました。
インタビューが2回になったのは1回目、5分ぐらい過ぎたところで突然電話が切れ、そのまま繋がらなかったからです(子機で受けていて、電池が切れたとのこと)。
いかつい顔のワイノですが、1時間以上におよぶインタビューでも懇切丁寧にドゥーム史をひもといてくれ、威厳を感じさせる語り口の中にもユーモアを交えるなど、自分にとっても面白くてためになるインタビューでした。

このインタビューの一部は『FOLLOW-UP』2009年5月号に掲載されましたが、こちらに掲載するのは初登場ロング・ヴァージョンです。

インタビューでは在籍バンドの話題が行ったり来たりするので、彼のキャリアを整理すると:

-1976-1977: WARHORSE
-1977-1986: THE OBSESSED
-1986-1990: SAINT VITUS
-1990-1995: THE OBSESSED(再結成)
-1996-2002: SHINE -(改名)SPIRIT CARAVAN
-2002-2007: THE HIDDEN HAND
-2003: PLACE OF SKULLS
-2008-2009: SHRINEBUILDER
-2009- : WINO
-2009: SAINT VITUS(再結成)

となります。

それではドゥーム神の言霊に耳を傾けて下さい。

(インタビュー:山崎智之/uploaded 2010.4.14)
(感謝:デイメア・レコーディングス FOLLOW-UP



●人はあなたを”ゴッドファーザー・オブ・ドゥーム”と呼びます。
俺をそう呼ぶ人がいるのは知っている。だけど真の”ゴッドファーザー・オブ・ドゥーム”はハンク・ウィリアムスだよな。
...特にドゥームへのこだわりはないんだ。俺は昔からBLACK SABBATHが好きで、彼らに影響された音楽をやってきた。THE OBSESSEDを始めた頃はSABBATHに傾倒するバンドは少なくて、当時まだDEATH ROWと名乗っていた時期のPENTAGRAMぐらいだった。そんな音楽が後にドゥームと名付けられたんだ。ただ、俺たちは自分の信じる音楽をやっていただけだ。俺が”ドゥーム”を定義すると低音を主としたサウンドと、希望を失って、落ち込んで、苦悶する歌詞だけど、俺がやっている音楽はもっと幅広いよ。

●BLACK SABBATHの音楽を初めて聴いたときのことを覚えていますか?
SABBATHのレコードを初めて聴いたときよりも、彼らのライヴを初めて見たときに衝撃を受けたな。1972年、ボルティモアで見たんだ。「Paranoid」がラジオでかかっていたし、けっこう大きな会場だった。 オジー・オズボーンが真っ黒のダシキと真っ赤なブルマー(ゆったりしたズボンで膝のところを絞ってある)姿だったのを今でも覚えているよ。そしてトニー・アイオミのギター・リフに脳天をガツンとやられたんだ。それから俺の人生、後戻りできなくなった。

●BLACK SABBATH以外ではどんなアーティストから影響を受けましたか?
フランク・ザッパ、THE DICTATORS時代のロス・ザ・ボス、MAHAVISHNU ORCHESTRA時代のジョン・マクラフリン…ジミ・ヘンドリックスやHUMBLE PIE、ニール・ヤング、アラン・ホールズワースからの影響もあった。

●ロス・ザ・ボスが結成したMANOWARは?
1枚レコードを聴いたことがあるけど、あまり好きにはなれなかったなあ(苦笑)。

●THE OBSESSEDとPENTAGRAMは、メリーランド州とワシントンDCのドゥーム・シーンの生みの親といわれます。彼らとはDCドゥームの黎明期から交流はありましたか?
彼らがDEATH ROWと名乗っていた時期(80年代初頭)に何度も一緒にライヴをやった。ヴィクター・グリフィンと知り合ったのはその頃だった。彼と俺は音楽の志向が似通っていたし、話も合った。それでずっと後(2003年)になって、彼のバンドPLACE OF SKULLSに参加したんだ。『WITH VISIONS』(2003)は最高のアルバムだった。あのアルバムでは俺も曲を書いていて、歌っている。ただ、ヴィクターの住むテネシーまで片道8時間かけてリハーサルやレコーディングで行くのは 難しくてね。しかもベーシストが安定しなかった。それで脱退することになったんだ。彼のキリスト教フリークぶりも、俺とは合わなかった。

●あなた自身、キリスト教は信じますか?
いや、信じない。宗教は人間の恐怖を糧にして大きくなっていくもので、俺はエサにされたくないからな。ただ、宗教についての本を読むのは好きだ。今、マグダラのマリアについての本を読んでいるよ。彼女はイエス・キリストの大祭司であり、伴侶であり、彼の子の母親だった。聖書に書かれていない事実がいくつもあるんだ。

●ヴィクター・グリフィンはあなたを折伏しようとしませんでしたか?
一度もしなかったよ。きっと無理だって判ってたんじゃないかな。ヴィクターは一度俺の家のリハーサル・スペースに来たことがあって、壁に貼ってあるいろんなものを見て「異端のシンボルだらけだ!」って嘆いていた(笑)。

●映画『Such Hawks, Such Hounds』にあなたの部屋が出てきますが、そんな“異端のシンボル”はなかったような…。
まあ物事は人の視点によってどうにでも変わり得るからな。君にとって芸術に見えるものも、別の人間にとっては異端のシンボルなのかも知れない。

●THE OBSESSEDはメインストリームのヘア・メタルと波長が合わず、ハードコア・バンドと一緒にライヴを行ったりしていたそうですが、あなたとパンクはどんな関係を持ってきましたか?
俺の魂はパンクであり続けてきたんだと思う。ただ、髪の毛が長かっただけだ。ハイヒール・ブーツを履いたりして、しょっちゅう他のパンク・バンド達に四の五の言われたけど、どいつもこいつもカチ食らわせてやったよ。みんな眼の周りを青黒くして、自分の言ったことを後悔することになった。まあSAINT VITUSに入る前、初めて会ったデイヴ・チャンドラーですら「お前、オカマかよ」と言ってきたぐらいだから、ちょっとばかり変わった格好はしていたのかも知れないけどな。

●デイヴのことは殴らなかった?
あまりに突然言われて、殴る間もなかった。そのまま会話を続けたよ。SAINT VITUSのオーディションを受けに行ったときだった。俺はもう東海岸のアパートを引き払ってカリフォルニアに引っ越してきて、SAINT VITUSに入る気まんまんだったんだ。というか、自分がSAINT VITUSのシンガーだという信念を持っていた。信念を持っていれば、人生けっこううまく行くんだ。

●あなたが在籍していた時期のSAINT VITUSには「Born Too Late」という名曲があり、オールドスクールであることを賛美していますが、それはあなた自身の心境も反映していますか?
いや、あれはデイヴ・チャンドラーの心境だよ。彼はいつも「60年代に生まれていたら、超ビッグなロック・スターになっていた」と言っていた。俺は必ずしもそうは思っていなくて、今を生きる方が良いけどね(笑)。THE OBSESSEDが東海岸でやっていたのと似たことを、デイヴは西海岸でやっていたんだ。SAINT VITUSもBLACK SABBATHに傾倒していて、スパンデックスとヘアスプレーのヘア・メタルと距離を置いて、パンクやハードコア・バンドと一緒にやっていた。

  SAINT VITUS『BORN TOO LATE』


●BLACK FLAGのカヴァー「Thirsty And Miserable」はドゥーム・ソングといえるでしょうか?
曲調はドゥームだけど、歌詞はアルコールを求めてさまよう、”アディクション・ソング”だな。ユーモラスな歌詞に思えるかも知れないけど、酒に溺れて人生を棒に振った奴を何人も見てきた。ボトルの底には絶望しかない。そういう意味では、立派なドゥーム・ソングだよ。

●SAINT VITUSであなたが歌った最後のスタジオ作『V』(1989)について、どんなことを覚えていますか?
『V』は激動の歴史の真っ只中で作られたアルバムで、すごく印象に残っている。ベルリンの壁が崩れたとき、俺たちはちょうどツアー中で、スイスでテレビを見ていた。その直後、ベルリンでアルバムを作ったんだ。旧・東ベルリン市民が初めて西側文化に触れて、衝撃を受けていた。長髪のロック・バンドを見るのも初めてだったみたいで、俺たちを見て絶句していたよ。俺のヘロイン癖を歌った「Ice Monkey」とか、ヘヴィな曲がいくつも入っていた。すごく良いアルバムだよ。

  SAINT VITUS『V』


●このアルバムに伴うツアーで『LIVE』(1990)を録ったんですよね。
そう、レコーディングを終えて、ドイツをツアーしたんだ。ライヴ・アルバムはCircus Gammelsdoerfという、ドイツ南部の田舎にある小さなクラブで録った。ツアー中の1日だったから、どんなショーだったかはあまり覚えてないけど、ステージが石で出来ていて、すごく寒かったのを覚えているよ。むしろ覚えているのは、その数日後、ドルトムントのステージで心臓発作を起こしたことだった。ヴォーカルで高音パートを歌ったら、目の前が真っ赤になって、何も見えなくなったんだ。SAINT VITUSでのツアーは楽しかったけど、あくまでデイヴがメイン・ソングライターで、アルバムに数曲ある俺の曲以外は、彼の曲を演って、彼の歌詞を歌った。彼が素晴らしいミュージシャンであることは認めるとして、歌詞の内容が必ずしも俺の考えていることと同じわけではないし、だんだん違和感をおぼえるようになったんだ。ちょうどTHE OBSESSEDを再結成させるオファーがあったんで、脱退することに決めたんだよ。

  SAINT VITUS『LIVE』


●あなたが脱退した後、SAINT VITUSはクリスチャン・リンダーソンを迎えて『C.O.D.』(1992)を作っていて、ドン・ドッケンにプロデュースを依頼しています。あなたが抜けたせいでバンドが下降線を描くことになったという意見もありますが、責任は感じますか?
責任は感じないけど、あれは酷いアルバムだ。俺だったら絶対歌わない。SAINT VITUS史上最悪のアルバムだな。

  SAINT VITUS『C.O.D.』


●THE OBSESSEDを再結成させて作った『LUNAR WOMB』(1991)について、どんな思い出がありますか?
良いアルバムだと思う。曲作りに時間をかけて、リハーサルもやって、万全の体制でレコーディングした。ドラム・キットの下にガラスを敷いて録ったのを覚えている。『LUNAR WOMB』のサウンドは今でも気に入っているよ。2台のマーシャルのヘッドの間にコーラスを挟んだサウンドが良かった。

  THE OBSESSED『LUNAR WOMB』


●この時期SAINT VITUSとTHE OBSESSEDは共にHellhound Recordsと契約していましたが、ミハイル・ボールとトム・ライスとの関係はどんなものでしたか?
最初は良かったんだ。でもHellhoundはまったく黒字が出ていなかったらしい。それでもアルバムの収支報告とかがなくて、みんなイライラしていた。俺もいいかげんキレて、トムに電話したんだ。後から考えると、彼らが住むドイツ時間で午前4時だったけどな。俺がアメリカからドイツに飛んでいって、銃をぶっ放すと思ったらしい(苦笑)。それから関係が悪化したけど結局、収支報告がないから、いくら儲かっていくら赤字が出ていたか判らないんだ。さらにむかついたのは、THE OBSESSEDがColumbia Recordsと契約した時だった。当初Hellhoundは「メジャーと契約する機会があれば、快く送り出すよ」と言っていたのに、いざColumbiaが契約オファーしてきたと知ると、契約金1万ドルとアルバムのパーセンテージを要求してきたんだ。

●HellhoundはTHE OBSESSED以外にもREVELATION、IRON MAN、WRETCHED、INTERNAL VOID、UNORTHODOX、BLOOD FARMERSなど、メリーランド州のドゥーム・バンドの作品を数多くリリースしてきましたが、それにはあなたが関わっていたのですか?
ああ、俺がHellhoundのアメリカ地域でのスカウトみたいなものだったんだ。「良いバンドがいるぜ」って薦めて、彼らがバンドにアプローチした。だから後になってギャラが支払われなくなった時、俺が他のバンドに対して気まずくなった。最悪な話だよ。

●THE OBSESSEDが『THE CHURCH WITHIN』を発表した頃(1994年)、グランジ旋風が起きていましたが、あなたはグランジをどう思っていましたか?
あまり興味がなかった。TADは好きだったし、カート・コべインは良い声をしていたけどな。デイヴ・グロールと知り合ったのはずっと後だったんだ。デイヴはすごく良い奴だ。彼のプロジェクトPROBOTに誘われて、すごく光栄だった。アルバムの「The Emerald Law」という曲で歌ったんだ。あと「Shake Your Blood」のミュージック・ビデオでエア・ギターを弾いた。本当はあの曲ではギターを弾いていないけど、そのフリをしたんだ。

  THE OBSESSED『THE CHURCH WITHIN』

●『THE CHURCH WITHIN』リリース時にColumbiaが制作したビデオ『DOCUMENTARY』ではヘンリー・ロリンズがあなたとの出逢いについて語っていて、2人ともMOTORHEADファンだったと話していますね。
MOTORHEADはまだ”ファスト”エディ・クラークがいた頃からファンなんだよ。レミーとは昔から顔見知り で、何度か話したことがあるけど、最高に頭が良くて、最高にユーモアがあって、全般的に最高な人間だ。

●MOTORHEADから音楽面での影響はありますか?
音楽的にはないな。彼らの曲はすごくベーシックで、影響されたらそれこそコピーになってしまう。それよりアティテュード面で影響を受けた。この世界の、あらゆる下らないものにファック・オフと中指を突きつける姿勢にね。

●THE OBSESSEDの解散後にSPIRIT CARAVANを結成しますが、両バンドはどう異なっていたのでしょうか?
メンバーが違えば、バンドも違うよ。俺にとって、バンドとは仲間たちの集合体なんだ。どのバンドも俺がメインで曲を書いたし、ギターとヴォーカルをとっていたから目立っていたかも知れないけど、俺ひとりのバンドではなかった。SPIRIT CARAVANではデイヴ・シャーマン(ベース)やゲイリー・アイサム(ドラムス)が書いた曲もプレイしていた。シャーマンの曲にはクールなものも多かったよ。でも何年も一緒にやって、同じ顔を毎日見て、同じ曲ばかりプレイしていると、嫌気が差してくるんだ。他の二人も俺の顔を見たくない状態だったと思う。 結局シャーマンがリハーサルに酔っぱらってるんで、クビにした。その前からライヴ前に飲んでいて、ベストな演奏を出来ないことがあったんだ。そうしてSPIRIT CARAVANは解散することになったんだ。

●続いてTHE HIDDEN HANDを結成したわけですが。
THE HIDDEN HANDを結成したのは2003年、イラク戦争のちょっと前だった。リハーサルをしている時に戦争が始まったんで、反戦ソングも書いている。『MOTHER TEACHER DESTROYER』(2004)に入っている「Half Mast」とか「Travesty As Usual」とかね。

  THE HIDDEN HAND『MOTHER TEACHER DESTROYER』

●2007年11月に予定されていたTHE HIDDEN HANDでの来日がキャンセルになってしまい、とても残念でした!
ああ、俺も残念だったよ。ただバンドが解散したとき(2007年夏)、内部はボロボロだったんだ。ドラマーが安定せず、ツアーにも疲れていたし、もう解散するしかなかった。ブルース・フォルキンバーグ(ベース)はエンジニアもやっていて、『THE RESURRECTION OF WHISKEY FOOTE』(2007)のアナログ盤用のマスタリングをやる筈だったんだけど、いつまで経っても「今やってるところだよ!」と言うばかりで、実際には何もやっていなくてね。俺がしびれを切らせてキレたこともあった。最後にロンドンでやったショーは俺のキャリアでベストといえるものだったけど、その次にやったリーズの会場がコエダメみたいな小さな穴蔵で、全員が文句を言い出して、ああ、もうこいつらとは一緒にやっていけないと思った。まだ日本ではプレイしたことがないし、THE HIDDEN HANDとして最後のショーをやってもいいかと思ったんだけど、きちんとオーガナイズされていない印象を受けたんだ。マーシャルのキャビネットを用意して欲しいと頼んだら「それは無理」とかね。わざわざ日本まで行って、クレイトとかフェンダーのちっこいアンプでプレイするのも嫌だし、だったら予定どおりバンドを解散させようと考えたんだ。結果として、無理して日本に行って、どうしようもないライヴを見せるよりも、行かない方が正解だったと思う。

  THE HIDDEN HAND『THE RESURRECTION OF WHISKEY FOOTE』

●THE OBSESSED、SHINE、SPIRIT CARAVAN、THE HIDDEN HANDはいずれもあなたがメインのバンドなんだし、同じ名前で活動を続けた方が良かったのでは?バンド名が変わって、そのたび新規にファン層を開拓しなければならないのは回り道ですよね?
確かにずっとひとつの名義でやっていれば、知名度は上がったかもな。でもそれは正しいことではない。俺以外メンバーが全員異なるのに、バンド名が同じというのはやっぱり変だろ?俺はオールドスクールな人間なんだ。だからギャラはメンバー全員で分けるようにしている。たとえ俺が曲を書いたとしてもな。バンドの一員であるのが好きなんだ。それにオールドスクールだからライヴで演るときだってエフェクトはラックでなく、ペダルにこだわるし、女の子と建物に入るときは彼女のために扉を開けておく。 

●THE HIDDEN HAND解散以来の復活作となる『PUNCTUATED EQUILIBRIUM』(2009)はどんなアルバムにしようと考えましたか?
俺にとって初めてのソロ・アルバムだから、自分の持つ音楽性をすべて入れるようにした。ヘヴィでブルージーでロックンロールでハードコアで、ポリティカルなメッセージも込めたかったんだ。ただ、曲ごとに別の方向を向いているようなアルバムにはしたくなかった。ひとつの流れが欲しかったんだ。

  WINO『PUNCTUATED EQUILIBRIUM』


●『PUNCTUATED EQUILIBRIUM』というタイトルは、どこから着想を得たのですか?
実はその意味を知らずにタイトルにしたんだ。俺の女房が俺の性格のことを「あなたって”断続平衡(punctuated equilibrium)”ね」って言うんで、その響きを気に入ってね。彼女が意図していたのは、俺が相手の言い分をじっと黙って聞いて、突然バッと話し出すということだった。本当の意味はスタジオでwikipediaを見て、初めて知ったんだ。一時はPUNCTUATED EQUILIBRIUMを新バンドの名前にしようとしたんだよ。でも”断続平衡説”なんて小難しい題名だったら、誰も手に取らない。それでシンプルに”WINO”にしたんだ。ひとつの種目が同じ場所に多数いると進化はゆっくりとしたものだけど、離れ小島のような隔離された空間だと、進化は急激に訪れる。断続平衡説というのは、そういう意味なんだ。

●『PUNCTUATED EQUILIBRIUM』における”進化”とはどんな点でしょうか?
全体的なサウンド・プロダクションが飛躍的に良くなっているし、曲も俺のベストに近いものだ。

●アルバムではCLUTCHのジョン=ポール・ガスターがドラムスで参加していますが、彼とはいつからの知り合いですか?
もう何年も前だ。SPIRIT CARAVAN時代にCLUTCHと一緒にショーをやったことがあって、その頃からだよ。CLUTCHの『PURE ROCK FURY』にもゲスト参加した。ベーシストのジョン・ブランクは2年ぐらい前に知り合ったんだ。彼はREZINというバンドをやっている。今回は俺のソロ名義だから、彼らのスケジュールが合わなければ、他のミュージシャンと一緒にやることが出来る。今後、新しいバンドを組むかも知れないけど、今は自由にやっているよ。

●「Eyes Of The Flesh」は“ゴッドファーザー・オブ・ドゥーム”の面目躍如たるドゥームな曲調ですね。
「Eyes Of The Flesh」は人間の欲望、そして固定観念に囚われる姿を描いているんだ。それは人間の性(さが)であり、”ドゥーム”なのかもな。

●「Release Me」「Smilin’ Road」などでは、過去のバンドで聞かれなかった泥臭いアメリカーナを感じます。
俺はアメリカ人だし、ブルースが根っこにあるからな。ブルージーなスライドを弾いているんだ。ジョニー・ウィンターやジョン・リー・フッカー、ロイ・ブキャナン、ダニー・ガットンから影響を受けているよ。ロイ・ブキャナンは本当に最高だった。最近、スライドの練習をしてるんだ。ギター雑誌に載っていたウォーレン・ヘインズのスライド講座なんかを読んでいるよ。

●最後、静かな雰囲気の「Water Crane」から「Gods, Frauds, Neo-Cons and Demagogues」「Silver Lining」と連なっていくドゥーム叙事詩が見事な盛り上がりですが、プログレッシヴ・ロックの手法を意識しましたか?
特に意識していないな。アルバムの曲は俺の夢を元にした、ひとつのテーマに沿っているけど、各々の曲は独立している。「Water Crane」は知り合いのイラン人女性の名前が”鶴”を意味する”ドーナ”だった。かつて自分が見た湖面に霧がかかって、鶴が飛んでくる情景とピッタリだったし、「Water Crane」という曲名にしたんだ。

●アル・シスネロス(SLEEP, OM)、スコット・ケリー(NEUROSIS)、デイル・クローヴァー(MELVINS)とのスーパーグループ、SHRINEBUILDERはどのようにして始まったのですか?
元はといえば俺がアル・シスネロスに電話したのが始まりだった。THE HIDDEN HANDがそろそろ解散しそうな頃で、「何か一緒にやろうぜ」って話したんだ。その頃クリス・ハキアスはまだOMにいて、俺プラスOMのトリオでジャムすることになった。アルと話すうちに「スコット・ケリーにミックスをやってもらったらどうだろう?」って持ちかけられたんだ。俺は彼のことを知らなかったけど、まあ一緒にやってみることにした。で、俺と彼は音楽的なケミストリーもばっちりだったんで、彼にもバンドに加わってもらうことにしたんだ。OMからクリスが脱退してしまったんで、スコットがMELVINSのデイル・クローヴァーを提案してきた。そうして出来上がったのがSHRINEBUILDERなんだ。曲のアイディアを何度もやり取りして、こないだ(2009年1月)ハリウッドの『ウェストビーチ・レコーダーズ』スタジオに全員が集まって、アルバム『SHRINEBUILDER』(2009)をレコーディングした。トシ・カサイがエンジニアをやってくれて、3日で完成したよ。

  SHRINEBUILDER『SHRINEBUILDER』


●ところであなたの生年月日はいくつか説があるのですが、本当はいつ生まれたのですか?
1960年9月29日だ。Wikipediaは間違っている。ジェリー・リー・ルイスとマーク・ファーナーと同じ誕生日だよ。若い頃、「マーク・ファーナーに似てる」と言われたことがあるんだ。それからずっと経って、誕生日が同じだと知ったんだよ。…俺はエルヴィス・プレスリーは大嫌いだけど、ジェリー・リー・ルイスは大好きだ。ジェリー・リーは一度エルヴィスを殺そうとして、猟銃を持って彼の家に行ったことがあるんだ。でも家に上げてもらえなくて、失敗したらしい。

●最近の音楽はチェックしていますか?
まあ、ほどほどにね。GOV’T MULEは良いな。ただ、そんな熱心に新しいCDをチェックしているわけではないよ。家で聴いているのは昔のレコードが多いな。最近見たライヴで良かったのは、HEAVEN AND HELLだった。ロニー・ジェイムズ・ディオは今が絶頂といえるほど凄いヴォーカルを聴かせてるし、ギーザー・バトラーは20年前と同じベースをぶちかましている。最高だ!

●ところでSUNN O)))は”ドゥーム”でしょうか?
うーん…(しばらく考える)わからん。彼らの音楽には歌詞がないからな。

●あなたとSUNN O)))が出ている映画『Such Hawks, Such Hounds』を見た感想は?
いい映画だね。すごく良いよ。特にPENTAGRAMとボビー・リーブリングが正当に評価されているのが良いところだ。ジェフ・オキーフのインタビューも良い。あの映画の俺のシーンでは、ホワイトセージを育ててるんだ。

●映画ではあなたの家庭菜園が登場しますが、何を栽培しているのですか?
ホット・ペッパーにハバネロ、ハラペーニョ、タラゴン、レモンベーベナ…いろいろ作ってる。メロンも育ててるよ。

●今、メリーランド州のどこに住んでいるのですか?
それは教えられない。今までもストーカーに付きまとわれたことがあるし、家族を危険に曝したくないからな。

●おやまあ(oh dear)。
うん、ストーカーには鹿(deer)狩り用の銃弾をぶち込んでやるぜ!…昔、一人暮らしをしていた頃、俺に付きまとう男がいた。一晩中アパートの外で待っていて、俺が外に出ると付いてくるんだ。「なんか用か?」って訊いたら、ただ一緒にいたいんだと。元来俺は嫌な人間じゃないし、いきなり他人の顔面にパンチを食らわすことはないけど、不気味だった。「判ったからとにかく帰ってくれ」って頼み込んだよ。

●ストーカーに家庭菜園を荒らされても嫌ですしね。
まったくだ。…メリーランド州は湿気が強くて、ちょっとした菜園をやるには適してるんだ。君に訊かれる前に答えておくけど、大麻は栽培してないよ。自宅で栽培して捕まって、 3人の子供を困らせたくないからな。もうマリファナを吸うこともなくなったし、食べることもなくなった。昔はマリファナ入りのブラウニーを毎日食べてたんだ。でも2年前の8月、すべてを止めることにした。もう自分には必要ないと思ってね。俺はもうすぐ50歳で、銀行口座には1,000ドルも入っていない。額に汗して働かなきゃならないんだ。人生ずっと音楽をやってきたし、今さら手に職を付けるのも難しい。実際のところ、楽な人生じゃないんだ。地元のクラブでも100人集まらない音楽をやってるんだし、楽なわけないだろ?でも、音楽にはそれ以上の価値がある。だからやり続けるんだ。


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