9. the desert rock



広大な国土を持つアメリカのロック・シーンには地域性がある。西海岸だけでもロサンゼルスのLAメタルやパンク、シアトルのグランジ、オレンジ・カウンティのメロコアやスケーターズ・パンクなど、それぞれの地域で独自のシーンが形成されている。そんなシーンで切磋琢磨するバンドのうち才能と幸運に恵まれた者たちはレコード会社の目に止まり、成功への片道チケットを手に入れるに至った一方で、大都市から隔離されたカリフォルニアの砂漠地帯、パーム・デザートでは、外部に知られることなく固有のヘヴィ・ロックのスタイルが育まれていった。
そんな音楽を我々は"デザート・ロック"と呼ぶ。

80年代、この砂漠地帯にはバンドが演奏できるライヴハウスが皆無で、リハーサル・スタジオなどもなかった。ただ、だだっ広い土地だけはあったため、地元のバンドは発電機をバンに積んで気の合った仲間と砂漠の峡谷に行き、大音量でプレイしていたという。彼らは週末になるともはや使われなくなったヌーディスト・コロニーに集まり、ライヴ活動を行っていた。そんな彼らの中で人気のあったのがBLACK SABBATHBLACK FLAGMINUTEMENといったヘヴィ・ロック/パンク・バンドだった。
ヌーディスト・コロニーで毎年行われたイベント『ダスト・フェスト』では数々の地元バンドが演奏していたが、'84年になると一目置かれるバンドが登場する。これがACROSS THE RIVERで、メンバーはマリオ・ラーリ(後にFATSO JETSONを結成)、スコット・リーダー(後にTHE OBSESSED〜KYUSS)、アルフレド・ヘルナンデス(後にKYUSS〜QUEENS OF THE STONE AGE)の3人だった。このバンドはロサンゼルスまで遠征を行い、SAINT VITUSTHE OBSESSEDとも共演を果たしている。'87年になると彼らはマリオの従弟ラリーゲイリー・アーシーを加えてYAWNING MANに改名。後にFATSO JETSONへと発展していくのだった。
YAWNING MANはインプロヴィゼーションを交えた多彩なロック・サウンドで人気を得たが、よりストレートなハードコア・サウンドで支持を集めていたのがUNSOUNDだった。両バンドとも正式にレコード契約を結ぶことはなく、あくまで地元レベルのカルト人気に終わってしまったが、彼らが礎となって"デザート・ロック"シーンが形成されることになる。

そんなデザート・ロックを代表する3大バンドがKYUSSFU MANCHU、そしてFATSO JETSONである。
(FU MANCHUはオレンジ・カウンティで結成されたバンドであり、厳密には"デザート・ロック"ではないが、その人脈などから暫定的に"デザート"に分類しておく)



●KYUSS

KYUSSの前身バンドであるSON OF KYUSSが結成されたのは'89年。メンバーはジョン・ガルシア(vo)、ジョシュ・ホーミ(g)、ブラント・ビョーク(ds)、クリス・コックレル(b)の4人だった。RPGの登場キャラからバンド名を取った彼らは自主制作でアルバム『SON OF KYUSS』を発表後、間もなくKYUSSと改名。ベーシストをニック・オリヴェリに代えて『Dali』レーベルと契約、アルバム『WRETCH』で正式デビューを飾っている。

初期はスピード感あふれるヘヴィ・メタリックなサウンドが特徴だったKYUSSだが、2ndアルバム『BLUES FOR THE RED SUN』('92)から変貌を見せている。ファスト・ナンバーもあるが、よりヘヴィ・グルーヴを強調し、頭や耳よりも本能に訴えかけるサウンドはナチュラル・トリップにも似た、まさに"ストーナー・ロック"の真骨頂である。このアルバムから、後に"ストーナー・ロック界の裏の総帥"と呼ばれることになるクリス・ゴスがプロデュースを担当していることも見逃せない。続く『WELCOME TO SKY VALLEY』('94)、『...AND THE CIRCUS LEFT TOWN』('95)で音楽面でのピークを迎え、カルト的な人気を誇った彼らだが、そのあまりに特異なサウンドはメジャー規模での人気を獲得することが出来ず、'96年にジョンとジョシュの音楽性の違いから解散してしまう。

デザート・ロックのみならずストーナー・ロック界で孤高の存在、ある意味"ストーナーの神"とすらいえるKYUSSはストイックなまでに純血主義を守り続けたバンドでもあった。ジョンとジョシュ以外のメンバーは再度変動があったものの、クリス・コックレル、ニック・オリヴェリ、3rdから加入したスコット・リーダー(b、元THE OBSESSED)、4thでプレイしているアルフレド・ヘルナンデス(ds、元THE SORT OF QUARTET)はいずれもカリフォルニア砂漠地帯出身、ヌーディスト・コロニーで演奏していた仲間である。まがりなりにもメジャーの『Elektra』レーベルと契約、ヨーロッパやオーストラリアにまで活動の基盤を広げていた彼らだけに、外部のミュージシャンを加えようと思えば容易だったに違いないが、彼らはそれを避けている。また、彼らはカヴァー曲を選ぶにもACROSS THE RIVERの「N.O.」やYAWNING MANの「Catamaran」など、デザート・ロックの先駆者たちのナンバーを選んでいる。
もっとも、それはKYUSSの独特なサウンドを理解できるミュージシャンが砂漠地帯にしか存在しなかったということでもあるだろう。それほどに彼らは孤高の音楽性を持っていたのである。

KYUSSの解散後、ジョン・ガルシアはSLO BURNを結成するが、このバンドはミニ・アルバム『SLO BURN』('97)、そして『オズフェスト'97』への参加のみで短命に終わってしまった。KARMA TO BURNとのジョイント・プロジェクトNINO BROWNが頓挫したジョンは続いてUNIDAを結成。SLO BURN、UNIDAの両方ともジョンのヴォーカルをフィーチュアしており、ヘヴィなストーナー・グルーヴの中にも聴かせるメロディが込められている。
UNIDAは'99年3月にスウェーデンのDOZERとのスプリット・アルバム『THE BEST OF WAYNE-GRO』でデビュー。8月には初のフルレンス・アルバム『COPING WITH THE URBAN COYOTE』がリリースされた。彼らはその後リック・ルービン率いる『American Recordings』と契約、世界に打って出るはずだったが、レコード会社のごたごたに巻き込まれ、ブレイクを果たすことは出来なかった。

一方ジョシュ・ホーミはGAMMA RAYを結成するが、デビュー・シングルを発表した後同名のジャーマン・メタル・バンドとの混同を避けるためすぐにQUEENS OF THE STONE AGEと改名している。
元々QOTSAは事実上ジョシュのソロ・プロジェクトであり、彼自らがギターに加えヴォーカルも取っている。彼は'97年にはSCREAMING TREESのサポート・ギタリストとしてヨーロッパ・ツアーにも同行しているが、その際にオランダのストーナー・バンド、BEAVERをバックに迎えてレコーディングされた「18 AD」はQOTSA名義でコンピレーション『BURN ONE UP!』に収録された。
ジョシュは続いてKYUSS時代の同僚アルフレド・ヘルナンデス、そしてカルロなる名前のベーシスト(ジョシュ自身の変名?)を加えて正式にQOTSAをバンドとして発足させ、アルバム『QUEENS OF THE STONE AGE』をレコーディング。この作品はKYUSSの延長線上にあるヘヴィ・ロック・サウンドにジャムっぽい要素もフィーチュアした作風で、PEARL JAMストーン・ゴッサードが主宰する『Loosegroove』レーベルから発表された(ヨーロッパでは『Roadrunner』、アナログ盤は『Man's Ruin』から)。
ニック・オリヴェリを迎え、メンバー全員が元KYUSSとなったQOTSAは精力的にツアー活動を行い、SMASHING PUMPKINSのツアー・サポートなど大きなチャンスを手にしている。また、彼らの音楽性はアメリカよりヨーロッパで受け入れられたこともあり、再度にわたりヨーロッパ・ツアーが行われている。
さらにQOTSAは'99年夏に『Interscope』と契約。翌年のアルバム『RATED R』でオーヴァーグラウンドでの大成功を収めたのは記憶に新しい。

UNIDAとQOTSAの作品はいずれも素晴らしいものだが、KYUSS再結成の噂は跡を絶たない。しかしジョン・ガルシアはジョシュ・ホームと再結成について話したことは認めながらも、「今後10年はあり得ない」と語っている。実際'99年夏にはヨーロッパのフェスティバル・プロモーターが彼らに再結成ライヴを打診したものの、結局ギャラやスケジュールの問題で実現することはなかった。
現在の彼らの充実ぶりを見れば、もはや再結成など必要ないことが分かるだろう。だが、いつの日かジョンとジョシュが同じステージに立つのを見てみたい気もする。



●FU MANCHU

ヘヴィなストーナー・トリップ感を前面に押しだしていたKYUSSに対し、FU MANCHUは愚直なまでに単純明解な豪快爆走ヘヴィ・ロックンロールを追求している点で大きく異なっている。彼らのサウンド、歌詞、アートワークは一貫してスピード全開で砂漠を疾走するバイク、巨大なトラック、反逆するティーンエイジャー、ホットなギャルなどを主題にしている。バンドのリーダーであるスコット・ヒルは「最高の映画、最高の車、最高のバンドがいた時代さ!」と70年代への傾倒を熱っぽく語り、理屈を超えた漢(おとこ)のロック魂を堪能させてくれる。

そんな豪快さの一方で、FU MANCHU(というかスコット)は初期から意外なほど広いヴィジョンを持っていた。バンドが結成された'90年に彼らはサンフランシスコの『Slap-a-Ham』レーベルから早くもシングル「Kept Between Trees」でデビューしているし、翌年の2ndシングル「Serioritis」はドイツの『Zuma』レーベルからのリリースだ。バンドは'94年に初のアルバム『NO ONE RIDES FOR FREE』を発表しているが、プロデュースは当時KYUSSのメンバーだったブラント・ビョークがバンドと共に手がけている。
彼らは『DAREDEVIL』('95)、『IN SEARCH OF...』('96)とアルバムを追うごとに成長を見せ(テクニック面ではほぼ進歩がないが、カッコ良さが増していく)、後者で日本デビューも飾るなど、世界規模で人気を掴んでいくが、'97年には一枚岩だった4人編成からエディ・グラス(g)とルーベン・ロマノ(ds)が脱退。スコットは後任にボブ・バルチ、そして古い馴染みのブラント・ビョークを加えて傑作『THE ACTION IS GO』('97)をレコーディングしている。スコットが完全にリーダーシップを握ったFU MANCHUはこれまで以上にストレートかつソリッドなロックンロールを志向。『THE ACTION IS GO』と続く『EATIN' DUST』は首を振らずにいられないハード・ドライヴィン・ロックの名盤に仕上がっている。
彼らは最新アルバム『KING OF THE ROAD』を'99年9月にリリース、2000年4月には待望の初来日公演を果たしたのだった。

一方FU MANCHUを脱退したエディ・グラスとルーベン・ロマノは間を置かずNEBULAを結成。アルバム『LET IT BURN』でデビュー、『Tee Pee』『Relapse』『MeteorCity』『Man's Ruin』とストーナー系作品をリリースしている各レーベルを総なめにしながら精力的に活動を続けている。彼らのサウンドはFU MANCHU系列にあるヘヴィ・ロックンロールだが、よりインストゥルメンタル・パートを強調しているのが特徴。アグレッシヴに弾きまくるエディのギターと力任せに叩きまくるルーベンのドラムスの壮絶なバトルが聴きものだ。彼らは結成以来コンスタントにライヴ活動を行っており、そのステージの凄まじさで着実にファン層を獲得している。彼らが着実に本家FU MANCHUに追いつき、追い越そうとしていると言っても過言ではないだろう。



●FATSO JETSON

KYUSSやFU MANCHUと違って、FATSO JETSONはインターナショナルなレベルで作品が発表されることがなく、その活動は神秘のベールに隠されていた。ここ最近まで日本で彼らの名前を知る人はほとんど皆無だったと言えるだろう。だが、バンドの重鎮(身体のデカさもまさに重鎮である)マリオ・ラーリの軌跡はデザート・ロックの歴史において重要な位置を占めている。
マリオが80年代初頭、ハイスクール時代に結成したバンドがDEAD ISSUE。BLACK FLAGから影響を受けたとおぼしきこのパンク・バンドのメンバーはマリオ、スコット・リーダー、アルフレド・ヘルナンデス、ハーブ・リノーだった(スコットとアルフレドは後にKYUSSに加入)。'84年にハーブが脱退したことによりバンドはACROSS THE RIVERに改名し、カリフォルニア砂漠地帯のシーンで人気を得ている。
スコットが'86年に脱退したことでマリオの従弟であるラリー・ラーリが加入し、ACROSS THE RIVERはINGLENOOKと名前を変えるが、このバンド名での活動は短期間に終わり、'87年にギタリスト、ゲイリー・アーシーが加わってYAWNING MANを名乗っている。この4人はさらにTHE SORT OF QUARTETと改名して『SST』から3枚のアルバム『BOMBAS DE AMOR』『KISS ME TWICE I'M SCHIZO』『PLANET MAMON』をリリース。そして、THE SORT OF QUARTETのヘヴィ・サイド・プロジェクトとして'94年に結成されたのがFATSO JETSONだった。

FATSO JETSONのメンバーはマリオとラリー、そしてドラマーのトニー・トーネイ(元JACK SAINTS)。彼らはTHE SORT OF QUARTETの繋がりで『SST』と契約、'95年にアルバム『STINKY LITTLE GODS』でデビューしている。初期の彼らのサウンドはYAWNING MANに通じる、ヘヴィ・ロックとパンクを基盤にしながらインスト・ジャムをぶち込んだもの。BLACK SABBATHからフランク・ザッパ、DEVOにまで傾倒するマリオを中心に、穏やかで知性派のラリー、ロック野郎のトニーによるバトルはCDで聴いてもスリリングだ。もっとも、その路線は'97年の2nd『POWER OF THREE』でも受け継がれているが、まだパワー不足の感がある。
そんな彼らが"化ける"のが'97年、KYUSSを脱退したブラント・ビョークが加入したときだった。ブラントが加わったことにより(彼はドラムスでなく、ギターで参加)FATSO JETSONサウンドはよりグルーヴを強化させたヘヴィ・ストーナーへと接近していく。ブラントはすぐにFU MANCHUに引き抜かれたためわずか3曲しかレコーディングを行っていないが、そのパワフルなサウンドはそのまま継承され、最新作『TOASTED』、そして前後してレコーディングされた『FLAMES FOR ALL』(両作とも'99年)で聴くことが出来る。

これまでアメリカ西海岸以外ではほとんどライヴを行うこともなかったFATSO JETSONだが、'99年に入って精力的なツアー活動をスタート。4月にマリオがQUEENS OF THE STONE AGEのサポート・ギタリストとしてアメリカ短期ツアー(SMASHING PUMPKINSの前座)に同行した後、FATSO JETSONはUNIDA、NEBULAと共にヨーロッパをサーキット。オランダ『Dynamo Open Air』フェスティバルにも出演している。さらに彼らは6月から7月にかけてはQUEENS OF THE STONE AGEの前座として再びヨーロッパを回っており、その認知度はじわじわと上がっているところだ。なお両ツアーではゲイリー・アーシーがセカンド・ギタリストとして参加しており、2000年に入ってリリースされたTHE MISFITSトリビュート・アルバム『GRAVEN IMAGES』でもプレイしているため、現在は正式メンバーと言ってもいいだろう。


以上デザート・ロックを代表する3バンドを中心にシーンについて簡単に触れてきたが、その人脈交流は実に盛んだ。現FU MANCHUのブラント・ビョークなどは3バンドすべてに在籍したことがあるし、狭いシーンの中でバンド達が助け合い、刺激を与えあっているのである。
彼らは砂漠の真ん中、ジョシュア・トゥリー(U2のアルバムで有名)にあるスタジオ『Rancho De La Luna』のエンジニア、フレッド・ドレイクデイヴ・キャッチングが企画するセッション・ユニット、THE DESERT SESSIONSでもプレイしており、一緒に酒を飲み、ガンジャをふかす仲なのだ。(フレッドとデイヴはearthlings?で活動、デイヴはQUEENS OF THE STONE AGEのツアー・キーボード奏者でもある)

最後にもう一人、デザート・ロックを語る上で欠かすことが出来ないのがクリス・ゴス。彼はKYUSSの『BLUES FOR THE RED SUN』以降すべてのアルバム、そしてFATSO JETSON、QUEENS OF THE STONE AGEなどの作品のプロデュースを手がけ、自らもMASTERS OF REALITYを率いて活動している。リック・ルービンの『Def American』レーベルから'88年に『MASTERS OF REALITY』でデビュー、'92年には何と元CREAMのジンジャー・ベイカーを加えてあっと驚かせた彼ら、'94年に『Epic』レーベルと契約して作られた『THE BALLAD OF JODY FROSTY』がお蔵入りとなったことで4年に1枚ぐらいしかアルバムを出さない幻のバンド扱いだったが、'98年には『Dynamo Open Air』を含むヨーロッパ・ツアーを敢行。'99年にはニュー・アルバム『WELCOME TO THE WESTERN LODGE』を発表するなどやけに活動的である。クリスはまたTHE CULTのイアン・アストベリーTHE FLYSらの作品をプロデュースするなど、プロデューサーとしても活躍を続けている。


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