1. roots



「あらゆるヘヴィ・ロックがCREAMと共に始まったことを覚えておいて欲しい。重要なバンドだったんだ、CREAMは」
バンドのベーシストだったジャック・ブルースの発言である。彼曰く、60年代にCREAMとジミ・ヘンドリックスが築いたヘヴィ・ロックの礎をLED ZEPPELINが継承し、70年代以降に繋げていったのだという。
それと同じことがストーナー・ロックについても言える。CREAMとジミが作ったヘヴィ・ロックをBLACK SABBATHがさらに確固たるスタイルに変化させ、それが今日のストーナー・ロックやドゥーム・メタルのルーツとなったのである。

何故'66年だったのか。それはアンプなど機材の技術が飛躍的に進歩したことにより、大音量でプレイすることが可能となったという外的理由によるものだ。50年代からロックンロールは「うるさい音楽」として大人の眉をひそめさせてきたが、CREAMがマーシャルの壁をバックに演奏する音楽は物理的に耳をつんざくラウドなものであった。
そして、何故CREAMだったのか。それはバンド内での競争という内的理由によるものだった。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーの3人は常にサウンド面で他の2人を圧倒しようとしていた。その一触即発のジャムは伝説となったが、それと同時に全員が競い合って音量的にもラウドなプレイを志していったのだ。

そのCREAMとお互いに刺激を与え合っていたのがジミ・ヘンドリックスだった。下積み時代にリトル・リチャードやISLEY BROTHERSなどのバック・メンバーを務めていたジミはCREAMが結成されたのと同じ'66年に渡英。自らのバンド、JIMI HENDRIX EXPERIENCEを率いて翌年シングル「Hey Joe」とアルバム『ARE YOU EXPERIENCED?』で鮮烈なデビューを飾っている。ジミ、クラプトン、THE WHOピート・タウンセンドの3人はライバル関係にあり、切磋琢磨してよりヘヴィでラウドなロックを確立していったのである。

一方海を隔てたアメリカのデトロイトでも新しいムーヴメントが起ころうとしていた。ソウル/R&Bの名門『Motown』のお膝元として知られるこの都市だが、60年代中盤からガレージ・バンドが数多く生まれ、『Hide Out』クラブを中心にライヴ活動を行うようになっている。そんなバンドのひとつがMC5だった。
「デトロイトはアメリカの自動車産業の中心だったんで、みんなホットロッドやドラッグ・レース、でかいパワーのエンジン、きしむタイヤ、馬力のでかい車が大好きだった。それを音楽に置き換えてラウドでアグレッシヴなサウンドをプレイするようになったのさ」
バンドのギタリストだったウェイン・クレイマーはMC5の音楽性の形成についてこう語っているが、これはまさに今日のストーナー理念と同一のものだ。彼らは政治過激派集団『White Panther』のリーダー、ジョン・シンクレアをマネージャーに迎えたことにより、さらにラジカルな路線を突っ走る。ラヴ&ピースを唱えるウッドストック・ジェネレーションの真っ只中で「Kick out the jams, motherfucker!」とシャウト、破壊的なロックンロールをプレイする彼らは当時のアメリカの音楽シーンでは異端の存在であり、デビュー作のライヴ盤『KICK OUT THE JAMS』('69)は今聴いても十分にエキサイティングなヘヴィ・ロック・アルバムだ。
ただ、当時としてはMC5の音楽と姿勢は過激すぎ、『Elektra』レーベルは「motherfucker」というMCの台詞を「brothers and sisters」に差し替え。それに対しバンド側は反発、『Elektra』のロゴマークに「ファック・ユー」と書いたステッカーをデトロイト中に貼りまくるなどしている。またバンドが政治集団に関わっていたことで警察のチェックを受け、家宅捜索や裁判沙汰は日常茶飯事だったという。そんな反体制的な姿勢はバンド自身の生命を摩耗、彼らは『BACK IN THE USA』('70)、『HIGH TIME』('71)を残して解散する。

MC5と並んで60年代デトロイトが生んだ代表的ヘヴィ・ロック・バンドがイギー・ポップ率いるTHE STOOGESだ。'67年に結成されたこのバンドは遠慮会釈のないヘヴィなサウンドとイギーの狂乱のパフォーマンスで人気を博し、'69年にはアルバム『THE STOOGES』でデビューを飾った。翌'70年に『FUNHOUSE』をリリースした彼らだが、音楽のみならず全員がドラッグにハマってヘロヘロという公私共に滅茶苦茶な状況にレコード会社の『Elektra』(またか...)が愛想を尽かして解雇。イギーはデヴィッド・ボウイの協力を得て新生IGGY AND THE STOOGESを結成し、イギリスで『RAW POWER』('73)をレコーディングしている。このあたりはかなり歪んだ形で映画『ベルベット・ゴールドマイン』で描かれているので、ご覧になった方もいるだろう。
オリジナルのTHE STOOGESを潰したのに懲りないイギーはさらにドラッグで加速された激しいライヴを行い、結局'74年2月に燃え尽きてロサンゼルスの精神病院に入院するに至っている。その後彼は'77年にソロ復活するまで退入院を繰り返しながら迷走を続けるのだった。
なおデトロイトからは彼ら以外にもテッド・ニュージェントを擁するAMBOY DUKES、かつてマーク・ファーナー(後にGRAND FUNK RAILROADを結成)とバンドを組んでいたディック・ワグナー率いるTHE FROSTなどのバンドもヘヴィなサウンドを追求していたが、MC5やTHE STOOGESほど徹底したものではなかった。

そんなヘヴィ・ロックの潮流はデトロイトのみならず、フラワー・ムーヴメントの真っ只中にあるサンフランシスコでも怪物を生んでいる。それがディッキー・ピーターソン率いるBLUE CHEERだった。当初6人編成のSAN FRANCISCO BLUES BANDなる名義で活動していた彼らだが、'67年にジミ・ヘンドリックスの『モンタレー・フェスティバル』での激演にショックを受けてヘヴィ・ロックに転向。LSDの銘柄にちなんでBLUE CHEERと改名している。そんな彼らの'68年のデビュー・アルバム『VINCEBUS ERUPTUM』、シングルカットされた「Summertime Blues」(エディ・コクランのカヴァー)の破壊力みなぎるヘヴィ・ロックはアメリカで支持を受け、両者とも全米トップ15入りしている。あまりに音量がでか過ぎてスタジオのモニターを破壊してしまったため、野外で録音されたという『OUTSIDEINSIDE』('68)『NEW! IMPROVED!』('69)とアルバムを追うごとに音楽性の幅を広げていった彼らだが、それに比例して人気は落ちていき、'71年に解散。ただディッキーは'85年にBLUE CHEER名義を復活させて『THE BEAST IS BACK』('85)を発表したのをきっかけに、必要に応じてBLUE CHEERとソロ名義を使い分けている。最近では'99年2月にBLUE CHEERとして来日公演を行い、凄まじいばかりの音量のライヴをぶちかましてくれた。

ハード・ロック/ヘヴィ・メタルの始祖と呼ばれるCREAM、全てのギター・キッズの憧れであるジミ・ヘンドリックス、"ゴッドファーザー・オブ・パンク"イギー・ポップと、さまざまなスタイルのアーティスト達に多大な影響を与えた彼らだが、その音楽にはひとつの共通点があった。頭や耳よりも感覚にダイレクトに訴えかけるヘヴィなサウンドである。それがドラッグの濫用によってさらにオーヴァードライヴされていったことも共通して言えることだろう。
そして、そんな彼らの音楽こそが現在でいう"ストーナー・ロック"なのである。




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